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東京2020 [雑事]

延期って。。。。

東京2021って名前を変えるのかな?

承服できないなぁ。

一年て、もう一回春が来て、もう一回夏が来て、もう一回秋が来て、もう一回冬が来ることだもんなぁ。

ん?選手になれるかも?
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新しい季節 [雑事]

ほとんど毎朝、日課のように電車に乗る前にコンビニに立ち寄って、ペットボトルを2本買うようになって、1年以上経つ。

コンビニで毎朝立っている店員さんは、大抵同じ人だ、と気がついたのは数ヶ月経ってからかもしれない。
2人いる時もあるが、1人はいつも同じ人だ。
最初の頃はポイントカードを出して、その後クレジットカードを出して、電子マネーで買っていた。
財布のカード入れがキツくて、中々取り出せない。
特に他に客はいないけど、商品のバーコードはピピっと読み取り、商品も袋に入れた、でもまだカードが出てないと店員さんも手持ち無沙汰かな、と顔をあげると、予想通りの表情。

そんな朝を送るうちに、毎日もらうビニール袋がたまる一方なので、断るようになった。
その頃には、中々出てこないカードも、その店員さんなら表情を変えずに一緒に待ってくれるようになった。
暫くしたら、袋を断らなくても、バーコードを読んだらペットボトルをスッと2本整えて差し出すようになった。もちろん、こちらはカードと格闘しているのだから、彼女は更に時間を持て余すことになる。
客が忙しそうにレジの前で財布をいじったり、商品をカバンに詰めたりするのを、ただ見ているのに気がひけるのか、店を出る時に、後ろから「行ってらっしゃいませ」と大声で送ってくれるようになった。

その後、スマホのバーコード決済なるものが登場した。しかもポイントカードも同じアプリに入っている。
2本のペットボトルをレジに置いたら、アプリを起動して、まずポイントカードを表示して読み取らせ、次に決済のバーコードを表示させて読み取らせる。
簡単で早い。
毎朝、機械的な表情だったのが、最初にバーコードで決済した日だけは、感激的な表情をした。「もう終わり?」みたいな。
その頃から、店には、別の店員がかわるがわる立つようになり、長らく朝の主となっていた、その店員は見なくなった。
朝、店に入って誰もレジにいなくても、ペットボトルを選んでいる間にスッとレジに入って待ち構えられるということもなくなり、袋に入れるのは断るようになり、大声で送り出されなくなった。
セルフレジも入って、レジの店員さんが誰かを見なくなった。

ところが、今月に入ったある朝、2本ペットボトルをレジに置いたら、ピピっと読み取り、バーコードをピピっと読み取り、ボトルを揃えて差し出す店員に出現した。
コロナのためにマスクをしていて、顔がよく見えない。髪型はパーマが入ってるし、メガネはメタリックで上品な感じで、黒髪を後ろで束ね黒縁メガネの中学生みたいだった朝の主とは違うようにも見える。
名札を見たって、かつての朝の主の名前は知らないし、同一人物かは結局分からない。

そこで、以下のように整理を付けることにした。
朝の主は髪型やメガネを変えて、就活していたのだが、春休みに入ったので、初任給までの繋ぎを稼ぐ為にコンビニレジに復帰した、と。
2020-03-20T23:37:21.jpeg

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スペイン語の歌詞 [音楽]

同じ曲でも英語で聞く歌詞と、スペイン語で聞く歌詞は印象が違う。
作家の個性の違いかもしれないが。
よく考えると洋楽と呼ばれるのは、英語の音楽がほとんどなので、入ってくるのは英語文化圏の考え方なのだと、気づかされる。
この曲を聴いて、改めて実感する。



英語名がA Whole New Worldに対し、スペイン語名はUn Mundo Ideal。これは直訳ではないし、意訳とも言いにくい。Un Mundo(ウンムンド) は英語のA Worldに当たる。Idealはスペイン語では「イデアル」と読み、日本語でいうと意味は「理想」に当たると思う。
いつ、誰と話したのかは、はっきりしないが、スペイン語のidealと英語のideal(アイディール)は意味が異なると教えてくれたメキシコ人だか、コロンビア人がいた。
英語のidealも「理想」と訳すが、英語の場合は、「架空」「想像」の意味が強い。スペイン語のidealは、日本語の「理想」の意味に近く、日本語よりもポジティブな意味合いがある。
英語のidealは数学の「仮定」のように、「この世の中にはない想像上の世界」のニュアンスが強く、ニュートラルの色が強い。An ideal worldだと、単に「空想の世界」であり、天国のような理想郷も地獄のような修羅場も空想の世界、ideal worldの範疇になる。しかし、スペイン語のidealの持つ理想のニュアンスは理想郷のような理想で、天国のことを指す。
この、世界観の差は、単にidealという単語だけでなく、スペイン語の文化圏に共通していると思う。
英語的考え方だと、中立の位置を定め、それに対する位置関係があり、中立位置を意識した考え方をする。言葉に客観性がある。
スペイン語は主観的だ。動詞の活用で人称も表現するため、文章の中での動詞の主格がどこにあるのかが組み込まれている上、更に名刺や代名詞を用いた表現ができるので、短い文章でも日本語にすると、回りくどく複雑な事を述べることができる。
そうした言葉を使うということは、その複雑な表現は話者の主観で表現されているのであり、他の人が同じ事を表現することが許容されているということだと思う。
そして、そのようなバックグラウンドがあるから、話者の言葉は話者の主観的表現を表している。

例えば英語的考えの場合、不明確だったり、不確定なことは、良い方に転ぶかもしれないし、悪い方に転ぶかもしれない。悪い事が起きてもがっかりしないように、悪いこともある程度想定して生活する。すると、悪いことを測りながら考えるようになる。こんな悪いことと、こっちの悪いこととどっちが悪いか、マシな方を選ぼう。選ばなかった方が最悪で、選んだ方が最善ということになる。
こうして、物事の悪いことを想定して良いことを選ぼうとすると、悪いことの品定めをしなければならないので、いつでも悪いことを意識しなければいけない。ストイックだ。アメリカ大統領選の論戦も見苦しいほど、相手の些細な弱点を見つけて糾弾する。これは、選挙民が悪いことを排除することに執着している現れだと思う。

スペイン語的な考え方だと、そもそも悪い事は自分で想定できるものではない。自分で悪い事を定義することはできない。悪いことというのは、事例を挙げることはできても、それはあくまでも事例であり実際に起きるか分からない。また、身の上に起きた現実が良いか悪いかは、起きてみないと判断はできない。従って、岐路に立った時には、好きなものを選ぶ。悪いことを理由に物事を決めることはできない。悪いことの定義がないので。
自分の人生は、自分の幸せなのだから、好きなことを選ぶ。とっても悪いことも、ちょっと悪いことも、全部悪いこと、言い換えると自分が幸せと思う以外のものだ。悪いことに対する感性は鈍いかもしれないが、逆に良いことへの感性は鋭い。ちょっと良いことと、とても良いことの目利きは効く。

日本人は、両方の側面を持っていると思う。というより、外面はストイックで、内面は甘い。悪いことへの感性は研がれているが、実際にはストイックにはならない。良いことへの執着がないわけではないが、良いことへの執着は悪いような風潮があって、感性が研がれていない。


情感的な表現はスペイン語の方が心に刺さる気がする。
歌に戻ると、例えば、英語だと、A hundred thousand things to see, I’m like a shooting star I’ve come so far, I can’t go back to where I used to be.という部分がある。
「(新しい世界には)幾百千もの見る事がある、私は遠くまで来た流れ星のようだ。かつていた場所へは戻れない」
スペイン語版だと、Allí mil cosas voy a ver, Soy como azul estrella... que se va Y nunca será igual ya otra vezとなっている。
「私はそこ(理想の世界)で幾千もの事を見よう。私は進み続ける星のようで、二度と今と同じことの繰り返しはない」
それぞれの作詞者の感性の差かもしれないが。
たくさんのものが見たいという本人の胸中の躍動感が英語の歌詞では表現できていないし、後半の過去との決別についても話者目線が前提の未来形表現なので、単なる予想ではなく、意志が表現されている。英語の後半の文章だと、自分が流れ星だから戻れないという因果と状況を述べているだけとも言える。
自分の意思が表現できているから、刺さってきたのかな。
だし、アラジンから「新しい世界」のつながりが分かりにくかったが、「(自己中の)理想の世界」はつながりやすい。

私は言語学者とかではないので、以上は個人的な見解ですが。。。

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